『令和』と『筑紫もち』

『令和』と『筑紫もち』

新元号『令和』は『万葉集』の「梅の歌三十二首」の序文から引用されました。

初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ

梅は鏡前の粉を披(ひら)き

蘭は珮後(はいご)の香を薫らす

ときは天平二年(七三〇年)一月十三日、大伴旅人の邸宅。新年に招かれた客と、 あるじの旅人がそれぞれ 梅の歌を詠みました。

その「梅の歌三十二首」の中から二首を「筑紫もち」は発売当時当から使わせていただいております。

萬代(よろづよ)に年は 来(き)経(ふ)とも梅の花  

絶(た)ゆるこのなく 咲き渡(わた)るべし 

                     筑前介佐(さ)氏子首(しこびと)

梅の花 今盛りなり思うどち 

挿頭(かざし)にしてな 今盛りなり

                     筑後守葛井(ふぢゐ)大夫

昭和五十二年四月に「万葉の詩がきこえる…」という枕言葉で発売させていただきました 「筑紫もち」。

万葉集四五一六首のうち五九六首が詠まれた、この美しき筑紫の国。この万葉びとのおおらかさ、素朴さをお菓子に託しました。

厳しい寒さの中、梅の花はどの花にも先駆けて咲き始めるように、『令和』が明日への希望を咲かせる時代となりますように。

私どもはお菓子づくりを通して、この美しき福岡を、さらに宣揚してまいります。

                            筑紫菓匠 如水庵