120年前の大楠様

120年前の大楠様

この大きなクスノキは「大楠さま」といって、13世紀に博多で活躍した宋の貿易商人 謝国明(しゃこくめい)のお墓です。お墓に生えてきたクスノキが大きく成長し、墓碑を包み込んでしまったと伝えられています。

謝国明はうどん・そば・饅頭の製法など多くの文化を日本に伝えました。また、熱心に仏教を信仰し、宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)を助けて承天寺を建立。鍼治療の普及にも貢献しました。謝国明は日宋貿易で得た富を惜しげもなく使って、博多の街の発展に尽くしたのです。

また当時、博多の町では飢饉疫病で多くの人が苦しんでいました。その年の大晦日、謝国明は苦しむ人々を承天寺に集めて「そばがき」を振舞い、多くの命を救いました。さらにその翌年 豊作になったことから、博多では「運そば」と言って大晦日におそばを食べる習慣が生まれ、これが「年越しそば」のもとになったともいわれています。

博多の大恩人 謝国明のお墓「大楠さま」ですが、ここで約120年前に撮影された写真が残っていました。

この写真は1900年(明治34年)ごろに撮られたもので、左端に立っているのが、私の曾祖父 森 千太郎です。写っている人物はみな着物姿で、下駄を履いています。子供を抱いている中央の男性と、前列の男の子二人は帽子を被っていますね。大きなリボンをつけた女の子も二人います。西洋化の波が博多にも少しずつ来ていたのでしょうか。大楠さまには しめ縄が張られていて、後ろには色はわかりませんが幕が張ってあります。大楠さまをお祀りする行事の記念撮影だったのかもしれません。

大楠さまは私の小さいころの遊び場でした。私どもの前身「榮松堂」は、古くから大楠さまの隣で菓子屋を営んでいたと伝えられています。

私は幼心に、どのくらい昔からか疑問に思い祖父に聞くと、「ずーーっと昔!」との答えしか返ってきませんでした。
祖父もそのようにしか聞いていなかったのでしょう。

120年前の写真の大木は、終戦前後に火事で焼け枯れてしまいましたが、新しいクスノキが植えられ 現在も青々と茂っています。

謝国明が亡くなったのは1280年と伝えられていますから、約740年も前のこと。740年の間、謝国明の遺徳に感謝し、出来町をはじめとした近隣の方々が大楠さまを守っています。

(2021年)現在、大楠様の横にある看板です。大楠さまは福岡市が進めている観光プロジェクト「博多旧市街」の名所のひとつにも選ばれています。いちど訪れてみてはいかがですか?

福岡市公式シティガイド YOKA NABI 

博多旧市街

謝国明の墓

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