今こそ、お菓子で元気に!「希望の藤」が世界を救う

今こそ、お菓子で元気に!「希望の藤」が世界を救う

今から70年前の1951年(昭和26年)2月1日、「もなか黒田五十二萬石」が発売されました。

発売から遡ること2年前の1949年(昭和24年)、「旧福岡藩の歴史にふさわしいお菓子を作りたい」という強い思いを抱いた先々代森正美(森恍次郎氏の父)は、父治三郎(恍次郎氏の祖父)と共に、黒田官兵衛のご子孫黒田長禮 (ながみち) 侯のもとを訪れました。 熱い思いを伝えると長禮公は家紋の使用を快諾し、「藤巴(ふじどもえ)」の紋が入った屋根瓦をくださりました。

黒田長禮侯から賜った藤巴の屋根瓦

1951年(昭和26年)黒田長禮侯から賜った屋根瓦から最中種(最中の皮)の型を起こし、2年間試作のうえ「もなか五十二萬石」を発売しました。

餡には黒田家発祥の地でとれる「備中大納言」を使用。発売後たちまち好評を博し、当時人気を博していた「にわかせんぺい」「鶴の子」と共に博多三大銘菓と称されるようになりました。

藤巴の屋根瓦をもとにつくった最中の型

『希望の藤』

黒田家と藤巴紋との関係を語る上で欠かせないのは、黒田孝高(よしたか)(官兵衛(かんべえ)・如水(じょすい))の有岡(ありおか)城幽閉時のエピソードです。

狭い牢屋の格子窓から見えた藤の花によって如水が勇気づけられ、生きる望みをつないだという物語で、幸運にも無事に牢獄を出た如水公は秀吉天下統一の立役者として大活躍を遂げました。

2015年(平成25年)  大河ドラマ「軍師官兵衛」放送を機にリニューアルしたもなか黒田五十二萬石」のパッケージにあしらわれた一輪の藤の花には、どんな逆境においても希望を失わなかった黒田如水への深い尊敬の念が込められています。

コロナ禍で過ごしたこの一年、私たちは先人たちから多くのことを学び、そしてお菓子がくれる幸せのひと時が、今なおたくさんの人々を笑顔にしてくれるという希望を見出してきました。

「もなか黒田五十二萬石」は今年で70歳。

これからもその美味しさで世の中をもっと幸せにしていきたい。それが私たち如水庵の願いです。