思い出の黄な粉餅 ~筑紫もちの原点~

思い出の黄な粉餅 ~筑紫もちの原点~

筑紫もち誕生…

筑紫もちが初めて世に誕生したのは、1977年(昭和52年)4月28日です。

発売の背景には、昭和50年3月に山陽新幹線が全線開通し、東京~博多間1069.1キロメートルが6時間56分で結ばれました。

今は、最速4時間46分までに短縮されましたが、当時は、“夢の超特急”と言われ、博多の街はお祝ムードに沸いていたそうです。

昭和50年山陽新幹線全線開通

翌年の昭和51年には、天神地下街が完成。その頃はまだ路面電車が一部区間で走っていました。

※路面電車とは、西日本鉄道(西鉄)福岡市内線のことで、1979年(昭和54年)2月に全線が廃止された。

また、王貞治氏が国民栄誉賞第一号を受賞し、ピンクレディー旋風が巻き起こっていました。

実は、筑紫もちは、昭和50年の新幹線開通記念のお菓子として開発していたのですが、抜群に美味しい!と心から自信を持って販売できる商品が完成せず、2年後の昭和52年に発売になったのです。

昭和52年発売当時のポスター

一番食べたいお菓子をつくろう!

当時の社長森恍次郎は、新幹線開通記念のお菓子としてどんなお菓子を作ろうか…と考え悩んでいたところ、母からこんな一言をかけられました。

「そんな難しい顔をして考えても人が喜ぶお菓子はできないよ。あなたが一番食べたいお菓子を作りなさい。」そういわれて真っ先に思い浮かべたのが、母方の祖母である「蒲池のばあちゃん」が作ってくれた黄な粉餅でした。

搗いて時間が経ち硬くなった餅を、焼いて熱いお湯につけ、柔らかくなったところで黄な粉をまぶし、そこに砕いた黒砂糖をふりかける。少し待つと黒砂糖がトローッと溶けてくる。餅と黄な粉と黒砂糖。このシンプルな組み合わせが最高に美味しかったのです。

小学生の恍次郎少年は、その黄な粉餅を食べるのが楽しみで、冬休みに入ると、一人で博多から柳川近くの祖母の家まで行くのが年中行事でした。この大好きな黄な粉餅が、筑紫もちの原点です。

恍次郎と母フミエ

あなたの食べたいお菓子は何ですか?

筑紫もちが、そのひとつに加えてもらえたなら、これ以上の喜びはありません。