切ない別れの歌~万葉集と荒津の舞

切ない別れの歌~万葉集と荒津の舞

筑紫は、万葉のふるさと。万葉集には、筑紫を舞台として詠まれた歌が数多く収められています。 中でも、男女の切ない別れの歌に胸をうたれます。

遣唐使・遣新羅使が出航したのは「荒津の浜」。現在の福岡市中央区 西公園周辺です。

一説によると、当時日本を出発して無事に大陸にたどり着けた確率は約50%だったそうです。

海の藻屑となることを覚悟の上で、大陸への志を抱いて船に乗り込む男たち。

そして船上の恋人や夫を、荒津の浜で見送る筑紫乙女たち。

そんな切ない別れの歌が万葉集に収められています。荒津の浜での別れの歌を3首ご紹介します。

「しろたへの袖の別れを難みして   荒津の浜にやどりするかも」

(万葉集十二巻・三二一五)

“あなたとこのまま離れ離れになることが悲しくて、荒津の浜で一夜の宿をとってしまいました”

この歌の万葉歌碑は、福岡市中央区、大濠公園の真ん中の島「松島」にあります。

この歌にこたえて、見送る女性が詠んだ歌の万葉歌碑が、西公園入口交差点に建立されています。

「草枕 旅行く君を荒津まで 送りぞ来ぬる飽き足らねこそ」

(万葉集十二巻・三二一六)

“今から旅立っていくあなたと別れがたく、この荒津まで見送りにきました”

この二首は男性が詠んだ歌に答えて女性が歌を詠んだ「問答歌」とされています。

もう一首は、船が出発する荒津の浜から、大陸への航路を望むことができる、西公園の西側展望台の石碑に刻まれています。

遣新羅使の土師稲足(はにしのいなたり)が妻を想って読んだ歌です。

「神さぶる 荒津の崎に寄する波 間無くや妹に恋ひ渡りなむ」

(巻十五・三六六〇)

“神々しい荒津の崎に寄せる波のように、絶え間もなく妻を恋い続けることであろうか”


西公園西側展望台 万葉歌碑(福岡市中央区西公園)

これが妻との最後の別れになるかもしれない。

「寄せては返す波のように、絶え間なく妻を思いつづける」

なんて、切なくてロマンチックですよね。

遣新羅使は7~8世紀ごろですから、この歌が詠まれたのは約1300年前。

万葉歌碑の前で「そんな昔に、ここで詠まれたんだ。昔も今も人を思う気持ちは変わらないんだな。」と

しみじみと不思議な感覚を覚えました。

大濠公園・西公園のお近くにお出かけの際は、太古のロマンを感じに、万葉歌碑めぐりをされてはいかがですか?

1980年に発売した如水庵の「荒津の舞」は、別れの深い悲しみを抱きながら見送りの舞をささげる筑紫乙女たちの、 切なく美しい姿に思いをはせたお菓子です。

麗しい乙女の柔肌をイメージしたきめ細やかな求肥で柚子あんを包みました。

乙女の着物に見立てた包装紙には、「神さぶる 荒津の崎に寄する波 間無くや妹に恋ひ渡りなむ」の歌を載せています。


1980年 荒津の舞 発売当初のしおり

万葉歌人のロマンを感じながら召し上がっていただけると嬉しいです。