如水庵の歴史

如水庵の歴史

HISTORY

創業年不明

商人の町・博多で創業

「天正年間(1573~1591・安土桃山時代)に、初代・庄右衛門が
博多の街の東部作出町※1で、農業を営むかたわらお菓子づくりをはじめた」と
代々言い伝えられてきました。※2

※1 作出町……その後の出来町、現在の福岡市博多区博多駅前1丁目
※2 言い伝えの他には記録や物証などの客観的な証拠が見つかっていないため、創業年は不明としています。
1845 弘化2年 江戸時代末期

聖福寺650年
遠忌の菓子注文を承る

1195年に栄西禅師がひらいた聖福寺は日本最古の禅寺として知られています。1845年、聖福寺の「開山650年遠忌」の際にお菓子の注文を承り、そのときの菓子木型が今も残っています。

福寺の開山650年遠忌の菓子木型
聖福寺の開山650年遠忌の菓子木型
1881 明治14年

松永伊平が森家へ鎮台養子

代々菓子業を営んだ松永家。男4人兄弟のうちの一人が森家に養子に入り「森榮松堂」として菓子業を営みました。その後、本家・松永家の菓子業が廃業し、神社仏閣御供物菓子は「森榮松堂」に引き継がれています。

松永伊平、改め森千太郎(1867-1929)
松永伊平、改め森千太郎(1867-1929)
1890 明治23年頃

神社仏閣御供物菓子の
業容を拡大

「森榮松堂」の森千太郎は神社仏閣御供物調進所として、九州・山口一円の160の神社やお寺にお供物菓子を納めるほどに発展させました。

後列左から2番目が森千太郎。着物に帽子姿、明治初期の文明開化を感じる一枚
後列左から2番目が森千太郎。
着物に帽子姿、明治初期の文明開化を感じる一枚
1890 明治23年頃

家紋入り菓子木型

一般家庭のお祝い事や法事の引出物として「 家紋入り落雁」が人気となり、一人ひとりのお客さまの家紋を菓子木型に起こして注文を受けていました。

現存する家紋入り菓子木型
現存する家紋入り菓子木型
1902 明治35年頃

菓子屋の研究団体「十二会とにかい」の
世話人をつとめた

森千太郎は、博多の菓子舗12軒で結成したお菓子づくりの研究団体「十二会」の世話役を担っていました。同じ菓匠として互いに切磋琢磨し、技術の向上に励んでいたのです。

会員それぞれがつくったお菓子を前に並べて記念撮影。右端が森千太郎
会員それぞれがつくったお菓子を前に並べて記念撮影。右端が森千太郎
1910 明治43年

明治天皇より御紋菓調達を拝命

明治天皇ご臨席のもとで行われた陸軍特別大演習において(明治43年・岡山、明治44年・久留米)、明治天皇から落雁のご注文を賜りました。天皇皇后両陛下のご紋が入ったこの落雁は、明治天皇から日露戦争などで亡くなった方のご遺族に贈られたといいます。森千太郎は身を清め白装束で落雁を打ちました。

宮内庁から賜った菓子木型。天皇皇后両陛下のご紋「十六葉八重表菊形」「五七の桐形」の形
宮内庁から賜った菓子木型。天皇皇后両陛下のご紋
「十六葉八重表菊形」「五七の桐形」の形
1949 昭和24年

黒田家十四代より藤巴の
屋根瓦を賜る

「旧福岡藩の歴史にふさわしいお菓子をつくりたい」という思いを胸に、黒田官兵衛(如水)のご子孫・黒田長禮侯を訪問。熱い思いを伝えると長禮公は家紋の使用を快諾し、「藤巴(ふじどもえ)」の紋が入った屋根瓦をくださいました。

黒田長禮侯から賜った藤巴の屋根瓦
黒田長禮侯から賜った藤巴の屋根瓦
1951 昭和26年

もなか 黒田五十二萬石を発売

黒田長禮侯から賜った屋根瓦から最中種(最中の皮)の型を起こし、2年間試作のうえ「もなか五十二萬石」を発売しました。餡には黒田家発祥の地でとれる「備中大納言」を使用。発売後たちまち好評を博し、当時人気を博していた「にわかせんぺい」「鶴の子」と共に博多三大銘菓と称されるようになりました。

藤巴の屋根瓦をもとにつくった最中の型
藤巴の屋根瓦をもとにつくった最中の型
1953 昭和28年

博多駅前ナショナルビル店を開設

最初の支店を博多駅前ナショナルビルに出店。
幻の福岡城天守閣の模型を飾り、好評を博しました。

福岡城天守閣の模型の前に立つ当時の社長森正美
福岡城天守閣の模型の前に立つ当時の社長森正美
1955 昭和30年

「もなか 黒田五十二萬石」が名誉総裁賞

「昭和30年全国菓子観光大博覧会」にて、
「もなか 黒田五十二萬石」が名誉総裁賞を受賞しました。

名誉総裁賞
1962 昭和37年

屋号を「五十二萬石本舗」に変更

「森榮松堂」から「五十二萬石本舗」と屋号を変更し、
法人化。本店を改装しました。

改装した「五十二萬石本舗」の店構え。
改装した「五十二萬石本舗」の店構え。
1972 昭和47年

「黒田長政公350年祭」の
引出物のご注文を賜る

「黒田長政公350年祭」は明仁皇太子・美智子妃殿下(当時)が参列した重要な行事。引出物として「もなか黒田五十二萬石」の注文を賜りましたが「もなか」は 壊れやすく何かあったら大変だと森恍次郎・純子が、車とフェリーで東京赤坂の黒田邸に納品。黒田家の蔵 の中で箱詰めと包装をしてお納めしました。

森恍次郎・純子東京赤坂の黒田邸にて
森恍次郎・純子東京赤坂の黒田邸にて
1977 昭和52年

筑紫もちを発売

恍次郎が幼いころ大好きだった「蒲池の ばあちゃんの黄な粉餅」をヒントに、2年半 の試作を経て完成。「筑紫もち」と名付けました。筑紫で万葉集が数多く読まれていたこと、フミヱが万葉集を好きだったことから「万葉の詩がきこえる・・・」という枕詞を添え、「万葉集梅花の宴」の歌を箱や包装紙のデザインに取り入れました。

「筑紫もち」発売当時のポスター
「筑紫もち」発売当時のポスター
1979 昭和54年

「如水庵銘菓撰」を発売

2年前に発売した、「筑紫もち」に新発売の「曲水の詩」と「天王光」を詰め合わせた「如水庵銘菓撰」を発売しました。「曲水の詩」は、かつて大宰府政庁で大伴旅人ら万葉歌人が優雅に楽しんだ曲水の宴をテーマに創作し、「天王光」は大宰府を望む「宝満山を照らす月」をモチーフにしたお菓子です。

「如水庵銘菓撰」
1986 昭和61年

「いちご大福」を発売

いちご本来の風味を引き立たせるため、黒餡ではなく当時では珍しい白餡でいちごを包みました。その後、ぶどう大福やトマト大福など発売し、季節の旬な果物を白餡で包む「季節の大福シリーズ」は如水庵の看板商品の一つになっています。

「いちご大福」を発売
1986 昭和61年

福岡市博物館に
菓子木型144点を寄贈

豊臣秀吉公の箱崎松原茶会から400年を記念して、当時落成したばかりの福岡市博物館に、菓子木型144点を寄贈しました。

菓子木型
1989 平成元年

「株式会社如水庵」設立

(株)五十二萬石本舗の100%子会社として(株)如水庵を設立。以降、(株)五十二萬石本舗を製造会社、(株)如水庵を販売会社として運営しています。

2002 平成14年

「ぶどう大福」を発売
テレビ番組の「デパ地下グルメランキング」で第1位を獲得

白餡の中に「巨峰」を入れるというアイデアを永年温めていましたが、種が口の中に残ってしまうため商品化には至っていませんでした。岡山県で種なしぶどう「ニューピオーネ」の栽培がはじまったとき、これで試作したところ理想と一致。「ぶどう大福」として商品化しました。発売2カ月後に九州朝日放送の番組「アサデス。」の「デパ地下グルメランキング」で第1位を獲得しました。

デパ地下グルメランキング
2007 平成19年

福岡県男女共同参画企業賞を受賞

如水庵は、全社員の約8割、管理職の半数以上が女性です。そのため結婚、出産、育児、介護などの転機があった時でも、「仕事を辞めるか続けるか」という二者択一を迫らない職場環境を大切にしています。社員一人ひとりとよく話し合い、本人が働きやすいよう柔軟に対応する。このことが評価され、福岡県より表彰されました。

福岡県男女共同参画企業賞を受賞
2008 平成20年

「筑紫もち」がモンドセレクション最高金賞を受賞

モンドセレクションは、世界中から優れた製品を発掘・顕彰することを目的として、ベルギー経済省とECが主催する世界的な品評会です。品質・味覚・包装・原材料などの項目を点数化し、総合得点で評価され、最高金賞をいただきました。これに止まらず「筑紫もち」は、2019年までに11回最高金賞を受賞しました。

「筑紫もち」がモンドセレクション最高金賞を受賞
2009 平成21年

「とっとーと。」を発売

九州の農産物を使った九州銘菓を作ろう。そんな夢を叶えてくれたのは宮崎の「海水いも」というサツマイモとの出会いでした。日向灘の海水で育てられた糖度の高いサツマイモに、隠し味で九州産のマスカルポーネチーズを加えてコクを倍増。1000パターンのレシピ、25回の企画会議を重ねて「とっとーと。」は完成しました。「とっておきたくなるほど美味しいお菓子に」という願いを込めて博多弁で命名。 発売後は九州土産の新定番として好評を博し、2013年には全国菓子博にて最高賞の名誉総裁賞を受賞しています。

「とっとーと。」を発売
2011 平成23年

「筑紫もち」の製造ラインがHACCP認証獲得

HACCP(ハサップ)は、「Hazard(危害)」「Analysis(分析)」「Critical(重要)」「Control(管理)」「Point(点)」という言葉の略語で、食品衛生管理の国際基準です。日本では2020年に義務化されるHACCPを如水庵では「筑紫もち」の製造ラインにいち早く導入し、安心安全への取り組みを強化しました。2017年には「とっとーと。」の製造ラインもHACCP認証を取得しています。

「筑紫もち」の製造ラインがHACCP認証獲得
2012 平成24年

福岡県より「地域貢献活動部門賞」を受賞

現在、福岡県では76,000人の障がい者が働いていますが、賃金は平均月12,000円ととても低い水準です。如水庵では障がい者の雇用賃金を上げようと、障がい者の自立支援を目的としたお菓子づくりの技術提供に力を入れています。
如水庵で開発したお菓子を、障がい者の方々が施設で生産して販売できる仕組みを作りました。商品開発と技術指導を始めて1年半後には「はかたサブレ はつこい」を発売。さまざまなメディアにも取り上げられ、福岡県からは地域貢献活動として表彰されました。

福岡県より「地域貢献活動部門賞」を受賞
2019 令和元年

改元により「令和」の引用元「万葉の集 梅花の宴」と「筑紫もち」が再注目

新元号「令和」は「万葉集」の「梅花の歌三十二首」の序文から引用されました。1977年に発売した「筑紫もち」は、筑紫万葉集の世界を表現したお菓子です。その「梅花の歌三十二首」のうちの二首を、筑紫もち発売当初からパッケージのデザインに使用していたことが話題になり、テレビや新聞など多くのメディアに取り上げられました。

筑紫もち